大平海峡航空戦

 

第二次世界大戦において強大な同盟諸国軍に対して大規模海戦で複数の敗北を喫していた大平国はついに南平島への上陸を許してしまった。圧倒的な航空戦力と機械化された陸軍によってまたたく間に平坦な地形の南平島は占領され、大平海峡を挟んだ大平島との間で大規模な航空撃滅戦が展開された。

 

同盟諸国軍は圧倒的な航空戦力、具体的には1回あたり数百から1000機にのぼる戦略爆撃機による大規模空襲を連日実施した。大平国の産業の中心はこのころすでに新京から櫻井に至るベルト地帯に集中していたが、大規模な疎開、地下化防空網の構築が進んでおり生産力に対して決定的な打撃を与えることが当初できなかった。特に強力な防空網には手を焼き、1回の出撃で6-7%程度の被害を出しており、これは許容できるものではなかった。また疎開や地下化の情報も充分に入手できておらず、都市部に対する無差別爆撃は交戦国に対する憎悪や敵対心を煽っても交戦意欲を削ぎ厭戦感情を醸成することはできず、生産力への打撃も限定的であった。このような状況で同盟諸国軍のある空軍士官が考案した産業構造における弱点を集中的に攻撃する理論が試験的に導入された結果、絶大な効果が確認され(航空機生産の50-60%の減少)地上戦で完全占領を目指す方針は変更され空襲のみで大平国を屈服させることになった。